京青電鉄
架空鉄道京青電鉄株式会社(きょうせいでんてつ、英称:Kyosei Electric Railway)は中京都と平和県、青台県に路線を有する帝国大手私鉄の一つである。
京青電鉄の社名は起終点の頭文字である中京の「京」と青台の「青」に由来する。
京青電鉄の社名は起終点の頭文字である中京の「京」と青台の「青」に由来する。
京青電鉄 |
画像準備中 |
略称:京青、京青電車、京電 |
業種:陸運業 |
事業内容:鉄道事業 |
概要
星野グループの中の京青グループ、そして京青グループの中核企業として、鉄道業を本業としている。
星野グループ設立前までは不動産業や観光レジャー業なども展開していたが、グループ化後は不動産業や観光レジャー業などが分社化され、鉄道業を中心としている。
星野グループ設立前までは不動産業や観光レジャー業なども展開していたが、グループ化後は不動産業や観光レジャー業などが分社化され、鉄道業を中心としている。
歴史
会社設立~帝国大戦争まで
1900年代には帝国各地で鉄道開通ブームが巻き起こり、当時の鉄道省が新線を敷設していく中、首都圏では中京急行電気軌道(現:中京急行)に続く私鉄として1903年3月21日に京青電気軌道が当時の社長星野紋一郎によって設立した。
その後、第1期工事として野田(現:野田阪神)~立石間、第2期工事として立石~泉大前間、第3期工事として泉大前~五町間が建設され、1912年に野田~五町間で運行を開始し、1921年より徐々に路線も拡張され、1931年には日暮里~字円賀(現:ジェンガ)間と大戸~北山田(現:ひろせき電鉄山田みどり台)間が開通し、工事が難航しつつも本来の目的である青台地区への進出が達成し、本線の原型が出来上がってきてきたが、1938年に勃発した帝国大戦争の影響で都心を中心に次々と爆撃を喰らい、敵の最大の魔力「マダンテ」によっていくつもの箇所に大きな穴ができ、路線も分断されてしまった。
やがてその穴に海水が流れ込み、都心部は次第に元の本島から小さな7つの島に分断された。
戦後~地下鉄相互直通運転開始へ
大戦争によって爆撃を喰らった線路を復旧すべく、1939年以降、島と島を結ぶ高架橋の建設が始まった。
鉄橋が完成するまでは鉄道交通から海上交通で代替輸送し、全線が復旧する1950年まで海運業も行うことになった。
1946年までに四号島(現在の新四河島)まで線路が復旧し、翌年にはそれまでの日暮里までが開通し、従来の路線の復旧は完了した。
ところが、中京側のターミナルとなっていた野田(現:野田阪神)は京青電鉄開業後は発展したものの、都心へは市電での乗換えを必要としたため、便利とは言えなかったため、1950年には都心の中央ターミナルである七号島(現在の中京・上野)まで線路が延伸された。
さらに本線の北側では開通当時の目標であった本来の目的地・青台までの延伸が沿線住民の反対を押し切り、ようやく実現し、京青電鉄の路線拡張は1950年でひと段落となった。
ところが、都心から青台へのアクセスの利便性を向上すべく次の計画として地下鉄との相互直通運転計画が始まった。
当時既に1号線(御堂筋線)と3号線(四ツ橋線)が開通しており、それぞれ中京急行電鉄、国鉄との相互直通運転が計画されており、建設計画が進んでいた2号線(谷町線)は大日駅でライバルの中京急行と接続するために乗客が奪われる、4号線(中央線)は都心部を走るものの東西の郊外を結んでいるため京青の理想とは少しずれているルートであるという理由があったことで、地下鉄直通の新規参入が難しい状況となった。
ところが、次に建設される5号線(千日前線)では京青の理想に当てはまる路線であったため、京青電鉄は地下鉄直通に向けた準備を進めた。
しかし、建設が難航し、最初に開通した野田阪神~桜川間2.4kmは1969年のことであった。
念願の地下鉄相互直通運転開始とは言え、5号線(千日前線)は他路線との接続が少なく、終点の桜川は繁華街でもなく、需要が極めて少なかったのである。そのため、ホームの有効長も4両編成のみとなっており、京青の車両にも制限が設けられることになった。
1970年には谷町三丁目まで延伸されるものの、運河の河底工事で水漏れが発生し、建設中の路線に20万トンの水が浸水する事故があり、建設が遅れていたのである。
そして1972年の今里延伸、1973年には東に折れて南巽まで延伸し、計画当初の5号線はこれで全線開通となり、青台方面からの直通列車も充実させるようになった。
その一方で都の北部に位置する大日地区では1960年代にニュータウン構想計画が始まり、大日地区に線路がある国鉄の京浜南北線に対向すべく、北部開発鉄道(現:北平鉄道)の建設も同時に行われ、1978年には2号線(谷町線)と接続する大日~三ノ輪間が開通した。
空港アクセス鉄道~ニュータウン鉄道直結まで
京青電鉄が地下鉄建設と同時に行われていた計画が青台国際空港、毛見川空港(現廃止)への空港アクセスである。
偶然にも都心から両空港へのアクセスに京青電鉄が相応しかったため、京青電鉄は空港特急の車両を開発した。
それが「ウィングライナー」である。
空港建設反対集団によって製造中のウィングライナーが破壊されるなど、一時は製造中止することもあったが、1972年の開港から1年遅れで都心と青台空港を結ぶ空港特急「ウィングライナー」が運行開始された。
当初空港ターミナルに直結する形で地下に建設する予定だったが、国鉄に奪われる形になり、空港から東へ約km離れた市街地に青台空港駅が建設されることになった。その後も国鉄との協議は続き、1987年の国鉄民営化まで待つことになった。
同時に上野駅も地下ターミナルに移設し、地上駅跡地には公園が建設された。
また、毛見川空港へのアクセスも一般特急・急行列車の増発などによって空港アクセスが便利になった。
その後も1984年に通勤ライナーである「モーニング・イブニングライナー」(現:サポート号)が新設され、利便性が向上した。
同年には行政などを行う帝国国会議事堂の真下に和泉駅を建設する計画が始まったが、国会議事堂の最寄り駅は五町駅であり、和泉駅の予定地と五町駅の間に国会議事堂が位置している。さらに付近には中京急行の青山町駅もあり、道路交通の利便性も十分であったため、付近の住民にとっては新たに駅を新設する必要はないと訴えかけていた。
付近の住民には国会議員のために建設と説明していたが、実際は翌年建設される京青電鉄本社(後の星のグループ本社)の直下に駅を設けるためであるということを隠していたのだが、付近の住民が何らかの手で情報を漏洩させ、建設に猛反発で止めていたのであった。結局住民の猛反発を押し切る形で和泉駅は1987年に開業し、ウィングライナーなど有料特急を除く全列車が停車していたのであった。議員にとっては繁華街である五町駅のほうが利便性があったため、結局和泉駅の需要効果はあまり無かったとされる。
一方青台空港駅の問題では何度も交渉し続けた甲斐があってか、民営化後の1988年に2面4線のホームのうち、半分を京青が使用できる形になり、1990年に青台空港駅のターミナル直結が完成した。同時にウィングライナーの車両も一新し、増発したことによって経営困難だった業績も一転して黒字に回復するようになった。
さらに翌年には北部開発鉄道(現:北平鉄道)の大日~ジェンガ間が開通し、都心部への通勤が大変便利になった。
同時に地下鉄千日前線のホーム改良工事が行われ、全駅8両編成まで入線可能になった。
時空を超えて世界最大の乗り入れ鉄道会社へ
先述の北部開発鉄道の直通運転開始というようにますます路線が拡張していく京青電鉄であるが、その一方で廃止路線もあった。
その1つとして、毛見川空港へのアクセスは中京急行に譲り、空港線は僅か18年で廃止となった。その後空港の経営が悪化し、2002年には空港閉鎖、現在は空港跡地を利用して毛見川アウトレットパークとして営業している。
話題が前後するが、廃止関連としてもう1つの毛見川線は2002年に3代目社長である星野カービィの弟である星野デデデが毛見川地区を住宅都市として開発したことにより、東毛見川から2km延伸したデデデ千代田駅を設けたが、ネーミングと共に、立地環境が良くないと評判が悪く、住宅都市も2015年に中京急行に買収されてからは経営が悪化し、2018年に毛見川線自体が廃止となってしまった。
2路線の廃止があったものの、京青電鉄の路線はますます拡張していくのである。
まず、1998年に中京唯一の空港であった八尾空港はそれまでの小型飛行機専用だった空港を大きく拡大し、大型飛空艇も入港できる国際空港に発展するのを機に、空港へアクセスするための鉄道路線も大きく改善することになった。
それが千日前線と谷町線の直通運転開始である。
すでに谷町線に空港ターミナルの入口である八尾南駅があり、京青電鉄、千日前線からの連絡線を使って八尾空港へアクセスする計画である。
連絡線とは、当時の5号線(千日前線)谷町三丁目~今里間建設中に谷町線との連絡線を谷町三丁目~仲谷町間に建設されたものであり、異常時を除き使用されることは無かった。
連絡線も当時の単線から複線に改良し、青台、八尾の両空港アクセスがスムーズになった。
2002年には大戦争跡の修復が終わり、七号島駅も上野駅に正式に名称が変わるなど、ようやく首都圏の鉄道としての風格を保つことになったのである。
2003年に創立100年を向かえ、3200形1編成にリバイバル塗装が施され、引退時までその塗装のまま活躍し続けた。
第1号として千葉と湘南地区を結ぶ千浜急行である。京青電鉄では東は成田、西は熱海まで相互直通運転を行っており、現在も頻繁に高速列車を中心に運行している。また、現在は直通運転区間を銚子まで延ばしている。
その次に直通運転を開始したのは同様に日本の千葉と横浜を結び、架空都市坂田を結ぶ桜島電鉄である。桜島電鉄への直通運転は千浜急行の白井富士駅を経由し、タイムトンネルで桜島電鉄の両地空港へ連絡し、桜島電鉄線内では坂田空港まで直通運転を行っており、日本区間へは乗り入れていない。
さらに五町からタイムトンネルで日本の上信越地区を結ぶ花川インセクト線との直通運転も開始しているが現在は本数削減気味である。
この時点で京青電鉄は7社9路線との相互直通運転を行っており、さらにその後もひろせき電鉄と直通運転を行うことから相互乗り入れ社局は最大級になるであろう。
同時期、和泉駅に大型ショッピング施設HoshinoGarden(現StarGarden)がオープンし、星野家本家所在地である和泉駅もようやく注目が集まるようになった。
空港アクセス新時代へ
2019年には青台空港からジェンガで八尾空港行きと上野行きに切り離す特急列車「ツインスカイ」がデビュー。ジェンガ駅から八尾空港への空港アクセスの利便性が大幅に向上し、地下鉄に特急車両が入線する初の事例となった。
さらに2019年12月より彩葉新都心鉄道開通にあわせ、京青電鉄でも彩葉新都心へのアクセス路線として梅田線が開通した。
この頃から青台空港への速達列車の構想が始まり、翌年には着工し始めたのである。
ちなみに京成(けいせい)電鉄と混同することから京青電鉄ホームページ上で問題が発生したため、2020年以降は京青(けいせい→きょうせい)と読み方を改めている。
そして2023年4月、青台新高速鉄道、通称「青台ウィングライン」が開通し新型ウィングライナーが登場、ツインスカイも同ルートに変更、また通勤車両も都心へのアクセスだけでなく千浜急行・桜島電鉄からの直通列車も充実している。
本線経由であったウィングライナーはシティライナーに名称変更し、都市間輸送に活躍している。
ところが種別の混同に問題が発生し、それまで本線経由だった特急が青台ウィングライン経由に変更となり、誤乗するケースが少なくなかったのである。
そこで11月より早速ダイヤの大改革が行われることになった。
まず、特急は本線経由に戻り、本線経由には朝夕ラッシュ時間帯に運行する高速から快速特急に変更、そして青台ウィングライン経由の列車は高速特急に変更されることになった。
なお、北平線内の特急が再び戻ることになり、停車駅も青台ウィングライン開通前に戻ることになる。
利用客には紛らわしいが仕方が無いことであろう。
1900年代には帝国各地で鉄道開通ブームが巻き起こり、当時の鉄道省が新線を敷設していく中、首都圏では中京急行電気軌道(現:中京急行)に続く私鉄として1903年3月21日に京青電気軌道が当時の社長星野紋一郎によって設立した。
その後、第1期工事として野田(現:野田阪神)~立石間、第2期工事として立石~泉大前間、第3期工事として泉大前~五町間が建設され、1912年に野田~五町間で運行を開始し、1921年より徐々に路線も拡張され、1931年には日暮里~字円賀(現:ジェンガ)間と大戸~北山田(現:ひろせき電鉄山田みどり台)間が開通し、工事が難航しつつも本来の目的である青台地区への進出が達成し、本線の原型が出来上がってきてきたが、1938年に勃発した帝国大戦争の影響で都心を中心に次々と爆撃を喰らい、敵の最大の魔力「マダンテ」によっていくつもの箇所に大きな穴ができ、路線も分断されてしまった。
やがてその穴に海水が流れ込み、都心部は次第に元の本島から小さな7つの島に分断された。
戦後~地下鉄相互直通運転開始へ
大戦争によって爆撃を喰らった線路を復旧すべく、1939年以降、島と島を結ぶ高架橋の建設が始まった。
鉄橋が完成するまでは鉄道交通から海上交通で代替輸送し、全線が復旧する1950年まで海運業も行うことになった。
1946年までに四号島(現在の新四河島)まで線路が復旧し、翌年にはそれまでの日暮里までが開通し、従来の路線の復旧は完了した。
ところが、中京側のターミナルとなっていた野田(現:野田阪神)は京青電鉄開業後は発展したものの、都心へは市電での乗換えを必要としたため、便利とは言えなかったため、1950年には都心の中央ターミナルである七号島(現在の中京・上野)まで線路が延伸された。
さらに本線の北側では開通当時の目標であった本来の目的地・青台までの延伸が沿線住民の反対を押し切り、ようやく実現し、京青電鉄の路線拡張は1950年でひと段落となった。
ところが、都心から青台へのアクセスの利便性を向上すべく次の計画として地下鉄との相互直通運転計画が始まった。
当時既に1号線(御堂筋線)と3号線(四ツ橋線)が開通しており、それぞれ中京急行電鉄、国鉄との相互直通運転が計画されており、建設計画が進んでいた2号線(谷町線)は大日駅でライバルの中京急行と接続するために乗客が奪われる、4号線(中央線)は都心部を走るものの東西の郊外を結んでいるため京青の理想とは少しずれているルートであるという理由があったことで、地下鉄直通の新規参入が難しい状況となった。
ところが、次に建設される5号線(千日前線)では京青の理想に当てはまる路線であったため、京青電鉄は地下鉄直通に向けた準備を進めた。
しかし、建設が難航し、最初に開通した野田阪神~桜川間2.4kmは1969年のことであった。
念願の地下鉄相互直通運転開始とは言え、5号線(千日前線)は他路線との接続が少なく、終点の桜川は繁華街でもなく、需要が極めて少なかったのである。そのため、ホームの有効長も4両編成のみとなっており、京青の車両にも制限が設けられることになった。
1970年には谷町三丁目まで延伸されるものの、運河の河底工事で水漏れが発生し、建設中の路線に20万トンの水が浸水する事故があり、建設が遅れていたのである。
そして1972年の今里延伸、1973年には東に折れて南巽まで延伸し、計画当初の5号線はこれで全線開通となり、青台方面からの直通列車も充実させるようになった。
その一方で都の北部に位置する大日地区では1960年代にニュータウン構想計画が始まり、大日地区に線路がある国鉄の京浜南北線に対向すべく、北部開発鉄道(現:北平鉄道)の建設も同時に行われ、1978年には2号線(谷町線)と接続する大日~三ノ輪間が開通した。
空港アクセス鉄道~ニュータウン鉄道直結まで
京青電鉄が地下鉄建設と同時に行われていた計画が青台国際空港、毛見川空港(現廃止)への空港アクセスである。
偶然にも都心から両空港へのアクセスに京青電鉄が相応しかったため、京青電鉄は空港特急の車両を開発した。
それが「ウィングライナー」である。
空港建設反対集団によって製造中のウィングライナーが破壊されるなど、一時は製造中止することもあったが、1972年の開港から1年遅れで都心と青台空港を結ぶ空港特急「ウィングライナー」が運行開始された。
当初空港ターミナルに直結する形で地下に建設する予定だったが、国鉄に奪われる形になり、空港から東へ約km離れた市街地に青台空港駅が建設されることになった。その後も国鉄との協議は続き、1987年の国鉄民営化まで待つことになった。
同時に上野駅も地下ターミナルに移設し、地上駅跡地には公園が建設された。
また、毛見川空港へのアクセスも一般特急・急行列車の増発などによって空港アクセスが便利になった。
その後も1984年に通勤ライナーである「モーニング・イブニングライナー」(現:サポート号)が新設され、利便性が向上した。
同年には行政などを行う帝国国会議事堂の真下に和泉駅を建設する計画が始まったが、国会議事堂の最寄り駅は五町駅であり、和泉駅の予定地と五町駅の間に国会議事堂が位置している。さらに付近には中京急行の青山町駅もあり、道路交通の利便性も十分であったため、付近の住民にとっては新たに駅を新設する必要はないと訴えかけていた。
付近の住民には国会議員のために建設と説明していたが、実際は翌年建設される京青電鉄本社(後の星のグループ本社)の直下に駅を設けるためであるということを隠していたのだが、付近の住民が何らかの手で情報を漏洩させ、建設に猛反発で止めていたのであった。結局住民の猛反発を押し切る形で和泉駅は1987年に開業し、ウィングライナーなど有料特急を除く全列車が停車していたのであった。議員にとっては繁華街である五町駅のほうが利便性があったため、結局和泉駅の需要効果はあまり無かったとされる。
一方青台空港駅の問題では何度も交渉し続けた甲斐があってか、民営化後の1988年に2面4線のホームのうち、半分を京青が使用できる形になり、1990年に青台空港駅のターミナル直結が完成した。同時にウィングライナーの車両も一新し、増発したことによって経営困難だった業績も一転して黒字に回復するようになった。
さらに翌年には北部開発鉄道(現:北平鉄道)の大日~ジェンガ間が開通し、都心部への通勤が大変便利になった。
同時に地下鉄千日前線のホーム改良工事が行われ、全駅8両編成まで入線可能になった。
時空を超えて世界最大の乗り入れ鉄道会社へ
先述の北部開発鉄道の直通運転開始というようにますます路線が拡張していく京青電鉄であるが、その一方で廃止路線もあった。
その1つとして、毛見川空港へのアクセスは中京急行に譲り、空港線は僅か18年で廃止となった。その後空港の経営が悪化し、2002年には空港閉鎖、現在は空港跡地を利用して毛見川アウトレットパークとして営業している。
話題が前後するが、廃止関連としてもう1つの毛見川線は2002年に3代目社長である星野カービィの弟である星野デデデが毛見川地区を住宅都市として開発したことにより、東毛見川から2km延伸したデデデ千代田駅を設けたが、ネーミングと共に、立地環境が良くないと評判が悪く、住宅都市も2015年に中京急行に買収されてからは経営が悪化し、2018年に毛見川線自体が廃止となってしまった。
2路線の廃止があったものの、京青電鉄の路線はますます拡張していくのである。
まず、1998年に中京唯一の空港であった八尾空港はそれまでの小型飛行機専用だった空港を大きく拡大し、大型飛空艇も入港できる国際空港に発展するのを機に、空港へアクセスするための鉄道路線も大きく改善することになった。
それが千日前線と谷町線の直通運転開始である。
すでに谷町線に空港ターミナルの入口である八尾南駅があり、京青電鉄、千日前線からの連絡線を使って八尾空港へアクセスする計画である。
連絡線とは、当時の5号線(千日前線)谷町三丁目~今里間建設中に谷町線との連絡線を谷町三丁目~仲谷町間に建設されたものであり、異常時を除き使用されることは無かった。
連絡線も当時の単線から複線に改良し、青台、八尾の両空港アクセスがスムーズになった。
2002年には大戦争跡の修復が終わり、七号島駅も上野駅に正式に名称が変わるなど、ようやく首都圏の鉄道としての風格を保つことになったのである。
2003年に創立100年を向かえ、3200形1編成にリバイバル塗装が施され、引退時までその塗装のまま活躍し続けた。
そして大変貌を遂げたのが2018年である。史上初のタイムトンネルが開通し、時空間を越えて結ぶ鉄道がようやく誕生したのである。
第1号として千葉と湘南地区を結ぶ千浜急行である。京青電鉄では東は成田、西は熱海まで相互直通運転を行っており、現在も頻繁に高速列車を中心に運行している。また、現在は直通運転区間を銚子まで延ばしている。
その次に直通運転を開始したのは同様に日本の千葉と横浜を結び、架空都市坂田を結ぶ桜島電鉄である。桜島電鉄への直通運転は千浜急行の白井富士駅を経由し、タイムトンネルで桜島電鉄の両地空港へ連絡し、桜島電鉄線内では坂田空港まで直通運転を行っており、日本区間へは乗り入れていない。
さらに五町からタイムトンネルで日本の上信越地区を結ぶ花川インセクト線との直通運転も開始しているが現在は本数削減気味である。
この時点で京青電鉄は7社9路線との相互直通運転を行っており、さらにその後もひろせき電鉄と直通運転を行うことから相互乗り入れ社局は最大級になるであろう。
同時期、和泉駅に大型ショッピング施設HoshinoGarden(現StarGarden)がオープンし、星野家本家所在地である和泉駅もようやく注目が集まるようになった。
空港アクセス新時代へ
2019年には青台空港からジェンガで八尾空港行きと上野行きに切り離す特急列車「ツインスカイ」がデビュー。ジェンガ駅から八尾空港への空港アクセスの利便性が大幅に向上し、地下鉄に特急車両が入線する初の事例となった。
さらに2019年12月より彩葉新都心鉄道開通にあわせ、京青電鉄でも彩葉新都心へのアクセス路線として梅田線が開通した。
この頃から青台空港への速達列車の構想が始まり、翌年には着工し始めたのである。
ちなみに京成(けいせい)電鉄と混同することから京青電鉄ホームページ上で問題が発生したため、2020年以降は京青(けいせい→きょうせい)と読み方を改めている。
そして2023年4月、青台新高速鉄道、通称「青台ウィングライン」が開通し新型ウィングライナーが登場、ツインスカイも同ルートに変更、また通勤車両も都心へのアクセスだけでなく千浜急行・桜島電鉄からの直通列車も充実している。
本線経由であったウィングライナーはシティライナーに名称変更し、都市間輸送に活躍している。
ところが種別の混同に問題が発生し、それまで本線経由だった特急が青台ウィングライン経由に変更となり、誤乗するケースが少なくなかったのである。
そこで11月より早速ダイヤの大改革が行われることになった。
まず、特急は本線経由に戻り、本線経由には朝夕ラッシュ時間帯に運行する高速から快速特急に変更、そして青台ウィングライン経由の列車は高速特急に変更されることになった。
なお、北平線内の特急が再び戻ることになり、停車駅も青台ウィングライン開通前に戻ることになる。
利用客には紛らわしいが仕方が無いことであろう。
年表
1903年3月21日京青電気軌道創立
1912年10月20日野田(現:野田阪神)~五町間開通
1921年8月10日毛見川線開通
1930年600Vから1500Vに昇圧
1931年日暮里~字円賀(現:ジェンガ)、五町~北山田(現:山田みどり台)間開通
1938年2月14日~9月28日帝国大戦争勃発
1939年~1946年字円賀(現:ジェンガ)~日暮里間復旧作業、高架橋建設開始、渡し舟による代替輸送開始
1951年日暮里~七号島(現:(中京)上野)間開通、同時にジェンガ~七号島間を上野線から本線に名称変更、ジェンガ~野田(現:野田阪神)間を野田線に変更。
1960年下田台~北本間地下化完成
1969年3月20日~4月15日1372mm→1435mm改軌作業実施
1969年4月16日地下鉄5号線(千日前線)との相互直通運転開始、帝国大手私鉄で初めての相互乗り入れ開始、ジェンガ駅~野田線分岐点間の複々線化完成、6両編成運転開始
1972年5月11日空港線(五町~毛見川空港間)開通
1972年12月14日AE形による特急列車の運行開始
1973年12月30日AE形による「ウィングライナー」の運行開始
1984年7月10日AE形による通勤ライナー「モーニング・イブニングライナー」の運行開始。
1987年4月上野駅地下ターミナル完成、8両編成運転開始。
1987年10月10日和泉駅開業、五町~和泉間複々線化完成
1988年5月5日上野公園開園
1990年青台空港駅ターミナル地下直結ホーム開通、地下鉄千日前線8両編成運行開始
1990年12月31日空港線廃止
1991年北部開発鉄道(現:北平鉄道)大日~ジェンガ間開通により乗入れ開始
1998年地下鉄千日前線経由での地下鉄谷町線八尾空港、芝山電鉄(現地下鉄谷町支線)芝山三崎口(現三崎口)まで直通運転開始
2002年10月21日毛見川線東毛見川~デデデ千代田間開通、七号島駅から上野駅へ名称変更
2003年3月21日創立100周年を迎える
2015年新幹線、特殊狭軌、新交通システム、索道などを除く鉄道路線の一斉改軌工事実施(1435mm→1250mm)並びに1067mm~1435mm対応のフリーゲージ台車使用開始。
2018年5月19日タイムトンネル開通、毛見川線廃止、千浜急行との相互直通運転開始、通勤快特登場、ジェンガ駅巨大地下空間完成
2019年3月18日特急「ツインスカイ」運転開始、花川インセクト線との直通運転開始、高速登場、通勤快特廃止。
2019年7月15日千浜急行との直通運転区間を成田から銚子へ延伸
2019年12月10日梅田線、彩葉新都市鉄道開通、千浜急行との直通運転区間を大船から熱海へ延伸
2020年6月17日千浜急行経由での桜島電鉄坂田空港まで直通運転開始。
2021年5月7日バス鉄架空鉄道ネットワーク共通ICカード「imuca」利用開始。
2022年4月1日山田~青台中央間の路線を一部を除きをひろせき電鉄に譲渡、山田駅と山田~青台間地下化すると同時に、山田コロルリア駅と青台中央駅を廃止し、ひろせき電鉄に譲渡。
2023年4月3日青台ウィングラインこと青台空港線開通、ウィングライナー、ツインスカイ160km/h運転開始。
2023年11月快速特急、高速特急登場。
1912年10月20日野田(現:野田阪神)~五町間開通
1921年8月10日毛見川線開通
1930年600Vから1500Vに昇圧
1931年日暮里~字円賀(現:ジェンガ)、五町~北山田(現:山田みどり台)間開通
1938年2月14日~9月28日帝国大戦争勃発
1939年~1946年字円賀(現:ジェンガ)~日暮里間復旧作業、高架橋建設開始、渡し舟による代替輸送開始
1951年日暮里~七号島(現:(中京)上野)間開通、同時にジェンガ~七号島間を上野線から本線に名称変更、ジェンガ~野田(現:野田阪神)間を野田線に変更。
1960年下田台~北本間地下化完成
1969年3月20日~4月15日1372mm→1435mm改軌作業実施
1969年4月16日地下鉄5号線(千日前線)との相互直通運転開始、帝国大手私鉄で初めての相互乗り入れ開始、ジェンガ駅~野田線分岐点間の複々線化完成、6両編成運転開始
1972年5月11日空港線(五町~毛見川空港間)開通
1972年12月14日AE形による特急列車の運行開始
1973年12月30日AE形による「ウィングライナー」の運行開始
1984年7月10日AE形による通勤ライナー「モーニング・イブニングライナー」の運行開始。
1987年4月上野駅地下ターミナル完成、8両編成運転開始。
1987年10月10日和泉駅開業、五町~和泉間複々線化完成
1988年5月5日上野公園開園
1990年青台空港駅ターミナル地下直結ホーム開通、地下鉄千日前線8両編成運行開始
1990年12月31日空港線廃止
1991年北部開発鉄道(現:北平鉄道)大日~ジェンガ間開通により乗入れ開始
1998年地下鉄千日前線経由での地下鉄谷町線八尾空港、芝山電鉄(現地下鉄谷町支線)芝山三崎口(現三崎口)まで直通運転開始
2002年10月21日毛見川線東毛見川~デデデ千代田間開通、七号島駅から上野駅へ名称変更
2003年3月21日創立100周年を迎える
2015年新幹線、特殊狭軌、新交通システム、索道などを除く鉄道路線の一斉改軌工事実施(1435mm→1250mm)並びに1067mm~1435mm対応のフリーゲージ台車使用開始。
2018年5月19日タイムトンネル開通、毛見川線廃止、千浜急行との相互直通運転開始、通勤快特登場、ジェンガ駅巨大地下空間完成
2019年3月18日特急「ツインスカイ」運転開始、花川インセクト線との直通運転開始、高速登場、通勤快特廃止。
2019年7月15日千浜急行との直通運転区間を成田から銚子へ延伸
2019年12月10日梅田線、彩葉新都市鉄道開通、千浜急行との直通運転区間を大船から熱海へ延伸
2020年6月17日千浜急行経由での桜島電鉄坂田空港まで直通運転開始。
2021年5月7日バス鉄架空鉄道ネットワーク共通ICカード「imuca」利用開始。
2022年4月1日山田~青台中央間の路線を一部を除きをひろせき電鉄に譲渡、山田駅と山田~青台間地下化すると同時に、山田コロルリア駅と青台中央駅を廃止し、ひろせき電鉄に譲渡。
2023年4月3日青台ウィングラインこと青台空港線開通、ウィングライナー、ツインスカイ160km/h運転開始。
2023年11月快速特急、高速特急登場。
歴代社長
星野紋一郎1903年~1921年
星野ビオランテ1921年~1938年
岩崎新之助1938年~1960年
高浜シンスケ1960年~1972年
星野大吾郎1972年~1988年
星野カービィ1988年~2021年
星野デデデ2021年~2022年
星野桃太郎2022年~
星野ビオランテ1921年~1938年
岩崎新之助1938年~1960年
高浜シンスケ1960年~1972年
星野大吾郎1972年~1988年
星野カービィ1988年~2021年
星野デデデ2021年~2022年
星野桃太郎2022年~
鉄道事業
路線
現有路線
画像準備中
本線
野田線
梅田線
青台空港線(青台ウィングライン)
※本線のうち本町分岐点~青台空港間2.1kmは青空高速鉄道(第3種鉄道事業)が設備などを保有しており、京青電鉄では第2種鉄道事業を行っている。
※野田線のうちジェンガ~野田線分岐点間の0.8kmは本線と重複している。
※梅田線は本線の泉上大学前から彩葉新都市鉄道西梅田を接続する形で結ばれている。
※青台空港線(通称青台ウィングライン)は北平鉄道線を延長する形で北平鉄道線の三ノ輪~平和医療大学前を含み、三ノ輪~平和医療大学前~空港第2ビル間までの区間を青台新高速鉄道によって建設された路線である。
廃止路線
空港線
毛見川線
青台線・・・ひろせき電鉄に経営移管
現有路線
画像準備中
本線
野田線
梅田線
青台空港線(青台ウィングライン)
※本線のうち本町分岐点~青台空港間2.1kmは青空高速鉄道(第3種鉄道事業)が設備などを保有しており、京青電鉄では第2種鉄道事業を行っている。
※野田線のうちジェンガ~野田線分岐点間の0.8kmは本線と重複している。
※梅田線は本線の泉上大学前から彩葉新都市鉄道西梅田を接続する形で結ばれている。
※青台空港線(通称青台ウィングライン)は北平鉄道線を延長する形で北平鉄道線の三ノ輪~平和医療大学前を含み、三ノ輪~平和医療大学前~空港第2ビル間までの区間を青台新高速鉄道によって建設された路線である。
廃止路線
空港線
毛見川線
青台線・・・ひろせき電鉄に経営移管
直通運転
相互直通運転
以下の路線と相互直通運転が行われている。
・野田阪神駅経由で野田線と都営千日前線
・(都営千日前線谷町三丁目駅経由で)都営谷町線、都営谷町支線
・ジェンガ駅経由で京青本線、野田線と北平鉄道線、青台ウィングライン線、千浜急行線
・(千浜急行線白井富士駅経由で)桜島電鉄線
ただし、京成車両は谷町支線、千浜急行大船環状線及び熱海以遠、桜島電鉄本線の坂田空港以遠及び燕川~桜島間、未積線に入線することは無い。
片乗り入れによる直通運転
以下の路線で片乗り入れによる直通運転が行われている。
・五町駅経由で花川インセクト線
乗り入れ開始当初は京青車両も医科大学まで乗り入れていたが、2019年以降は花川インセクト車両が片乗り入れする形で直通運転が行われているが、現在は和泉駅までしか乗り入れていない。
またかつてはひろせき電鉄も山田~青台間の地下化工事が完成するまでは線路を共用していることがあったが、2022年4月1日には京青本線の地下化完成により、終了している。
以下の路線と相互直通運転が行われている。
・野田阪神駅経由で野田線と都営千日前線
・(都営千日前線谷町三丁目駅経由で)都営谷町線、都営谷町支線
・ジェンガ駅経由で京青本線、野田線と北平鉄道線、青台ウィングライン線、千浜急行線
・(千浜急行線白井富士駅経由で)桜島電鉄線
ただし、京成車両は谷町支線、千浜急行大船環状線及び熱海以遠、桜島電鉄本線の坂田空港以遠及び燕川~桜島間、未積線に入線することは無い。
片乗り入れによる直通運転
以下の路線で片乗り入れによる直通運転が行われている。
・五町駅経由で花川インセクト線
乗り入れ開始当初は京青車両も医科大学まで乗り入れていたが、2019年以降は花川インセクト車両が片乗り入れする形で直通運転が行われているが、現在は和泉駅までしか乗り入れていない。
またかつてはひろせき電鉄も山田~青台間の地下化工事が完成するまでは線路を共用していることがあったが、2022年4月1日には京青本線の地下化完成により、終了している。
列車種別
京青電鉄では、一般列車として普通、快速(エアポート快速)、通勤特急、特急(エアポート特急)、高速、そして有料特急列車としてはウィングライナー、ツインスカイ、シティライナー、サポートが運転され、種別数は細分化された種別を含め、11種類と帝国内妻多数を誇っている。
有料特急
ウィングライナー
ツインスカイ
シティライナー
サポート(モーニング・イブニング)
Blue Sky Expedition(※桜島電鉄の特急列車)
一般列車
高速特急
快速特急(※11月までは高速)
特急
通勤特急
快速(エアポート快速)
急行(11月で終了)
普通
有料特急
ウィングライナー
ツインスカイ
シティライナー
サポート(モーニング・イブニング)
Blue Sky Expedition(※桜島電鉄の特急列車)
一般列車
高速特急
快速特急(※11月までは高速)
特急
通勤特急
快速(エアポート快速)
急行(11月で終了)
普通
車両
現有車両
・有料特急専用車
・AE100形
・AE200形
・AE2000形
・一般車両
・3000形Ⅱ,3050形Ⅱ,3060形
・3070形
・3400形(保留車のみ車籍を残している)(→豊晴交通3800形50・90番台)
・3400V形(←3600形←800形)
・3800形(←3700形)
・イベント用車両
・AE形(復元)
廃車・転出
・特急専用車
・AE形
・800形
・3400形Ⅰ
1990年以降の消滅形式
・3000形
・3050形
・3100形
・3150形(→北部開発鉄道7050形)
・3200形(→北部開発鉄道7250形)
・3300形(→彩葉新都市鉄道N8300形、桜島電鉄3300形、豊晴交通3800形0番台)
・3500形(←800形)
・5200形(→ひろせき電鉄4000形,豊晴交通)
・電動貨車など事業用車
1989年以前の廃車車両
・100形
・200形~700形グループ
・1000・2000形グループ
・電動貨車など事業用車
新造予定
・全線総合検測車
・有料特急専用車
・AE100形
・AE200形
・AE2000形
・一般車両
・3000形Ⅱ,3050形Ⅱ,3060形
・3070形
・3400形(保留車のみ車籍を残している)(→豊晴交通3800形50・90番台)
・3400V形(←3600形←800形)
・3800形(←3700形)
・イベント用車両
・AE形(復元)
廃車・転出
・特急専用車
・AE形
・800形
・3400形Ⅰ
1990年以降の消滅形式
・3000形
・3050形
・3100形
・3150形(→北部開発鉄道7050形)
・3200形(→北部開発鉄道7250形)
・3300形(→彩葉新都市鉄道N8300形、桜島電鉄3300形、豊晴交通3800形0番台)
・3500形(←800形)
・5200形(→ひろせき電鉄4000形,豊晴交通)
・電動貨車など事業用車
1989年以前の廃車車両
・100形
・200形~700形グループ
・1000・2000形グループ
・電動貨車など事業用車
新造予定
・全線総合検測車
製造メーカー
車両基地
運賃
本線・野田線・梅田線
青台空港線
関連項目
- 最終更新:2011-02-11 17:09:09